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今も消える津波の不安を語る いわき市で沖縄料理店「宮古島」を営む [社会]

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2021・令和3年
3月11日 木曜日
気温22.2℃ 55% 天気[晴れ] 


今も消えぬ津波の不安
いわき市で沖縄料理店経営
永井勲さん(71、自営業)









内容(要約)

 福島県いわき市の海の玄関
口、小名浜港。震災直後は、
がれきに埋もれ、打ち上げら
れた船や横転したコンテナが
あちこちに横たわっていた。

その港から500㍍ほど離れ
た場所に、永井勲さん(71)=
旧姓・根間、宮古島市出身=
は妻の政江さん(64)と沖縄料
理店「宮古島」を営む。

 10年前のあの日、2人で自
宅にいた。「ドン」と突き上
げるような揺れに襲われ、と
っさに外に出た。電柱が大き
く揺れ、庭石が弾み、屋根瓦
が雨のように落ちてきた。近
くの工場から煙が立ち上がっ
ていた。この世の終わりに思
えた。


 テレビには東北の沿岸部を
襲う大津波の映像が繰り返し
映し出され、恐怖心が募った。

混乱に拍車を掛けたのが、東
京電力福島第1原発での水素
爆発だった。「高いところに
逃げよう」。車で向かうが、
どこも渋滞で容易ではなかっ
た。

 5日ほどで、避難所から帰
宅した。市が40歳未満の市民
に安定ヨウ素剤を配布した
が、2人は対象外だった。
射線の情報が入らず、不安に
かき立てられた。「何を信じ
ていいのか分からなかった。

 圧死の要因になると、タン
スをすべて処分した。放射線
に汚染された自宅を除染し、
庭の土も全部入れ替えた。
年間、福島産の米や野菜は食
べられなかった。いまも見え
ない放射線への恐怖は消えな
い。


 市内は8㍍を超える津波に
襲われ、関連死を含め468
人が亡くなったが、この10年、
店の周囲の街並みは驚くほど
変わった。港のそばには、地
震や津波の際の避難先にもな
る、4階建てのショッピング
モールが新たにオープンした。

 だが「東北の湘南」と呼ば
れ、観光客も訪れていた、か
つてのにぎわいは戻ってこな
い。支援に訪れた自治体職員
や原発作業員などでにぎわい
をみせた「震災バブル」(
井さん)も去った。新型コロ
ナウイルスの感染拡大が店の
経営に追い打ちを掛ける。客
が2人だけという週もあり、
1月の売り上げは9千円ほど
にしかならなかった。

 震災が話題に上ることも、
ほとんどなくなったという。

しかし海辺に行けば、いま地
震が怒って津波が来たならど
う逃げようか、崖が崩れてき
たらと、自然と頭を巡らせ、
胸がどきどきする。「震災前
は、大地震が起きて福嶋第1
原発が爆発するなんて、想像
すらしていなかった。いまは
何が起こってもおかしくない
と思える。明日はわが身。ぜ
ひ地震に備えてほしい」。福
島から故郷、沖縄の人たちに
強く訴えた。



感想

あまりにもびっくりして
記憶があいまいだったり、
どこかが抜けていたり、
思い出しても、強い恐怖を
感じたことのみだったりでは。


ご近所さんが、
見る影もなく、
道端に誰かが亡くなっている姿も。

それさえも、
ショックすぎて
ただただ事実のみの受入れ
ろうね。


少子高齢化以上に
観光に行くこと
さえなくなった場所に
なってしまった。

今後もっともっと
人影や笑い声が聞こえない
夜は人気がない場所に
なっていくと、野生の鳥や
生きものが増えるかも。


生きている時代にこんな
事が起こるなんてと
誰もが思うことだが、
自然災害の理由になるであろう
人間の開発行為や
住みやすい楽な生活が
少なからず仇になったとの
考えもどうしてもある。


もっともっとと
人間の理想追及の生活の成れの果てに
待っているのは、福島の
現実が物語っている。

少数意見が通らない世の中、
うそのような現実がまた
怒るかもしれないのにって、
のど元過ぎれば時間がたてば
忘れてしまう人間の悲しいところかな。


自主的に毎年この時期に
防災訓練や黙とうして
これからのためにも今を
考える時間を持たないと
いけないなあと思っている。






















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