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吹奏楽発展に尽力された屋比久勲氏の死去 [沖縄関連]

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こんな日がいつかは来る





しかし、
実際に来るなんて
想像はしたくない。





吹奏楽全盛の課題曲といえば・・
作曲家中村透さん。
青春のポップスの心と背中から
にじみ出る感動を見事なまでに
課題曲にしたあの
中村透も今月7日に70歳という
若さでこの世を去ったばかりというのに・・。





屋比久勲さん死去


沖縄旋風そして沖縄音楽の素晴らしさを
全国に知らしめた屋比久勲さん、そして
時同じくして県外出身の中村透さんも
沖縄から、課題曲にしてはあまりにも
素晴らしすぎる課題曲の数々を提供してくれた。



屋比久先生といえば、
中学や高校の吹奏楽部を指導し、
全国大会に通算32回出場するなど、
県内のそして全国の吹奏楽の
レベル向上に尽くした。


しかし、
13日午後3時7分、肺炎のため福岡県市筑紫野市
の病院で死去した。80歳。



いつかは地元沖縄に戻ってこられ、
最後の有終の美は「沖縄」でと
多くの関わりのある方々は思ったことだろう。


真和志中・石田中学を皮切りに華々しくデビュー。全国屈指の
有名中学沖縄サウンドの名をとどろかせた。


転勤先の中学校ではそれこそ
必ず、うそのように強くし全国へいざなった。


気がつけば、
自身最初の推薦特退生を送った7名の生徒達に始まった。
福岡県の電波高、のちに福工大付属高校改名後、
当時46名編成の吹奏楽界に革命とその名を全国に轟かせることになった。



20数名の半分程度の編成で
アンサンブル程度の人数しか
いない部員が・・


当時の木管・金管アンサンブルで
いきなり、支部そして九州代表、
そして全国で金賞を獲得する。

そこから稲妻伝説がはじまった。


兵庫県屈指の今津中学出身、
そして沖縄からは石田中学出身から
来た福工大付属校は当時、吹奏楽界の
話題の的だった。


プロをも凌駕するような
いやプロ高校生だった。
小編成ながら見事なサウンドに
どよめきと圧倒的な強さで
福岡支部代表、九州代表、
そして全国へと駒を進めた。


アンサンブル強し、編成強し。





そんな最強部員を育てた
屋比久勲氏はやがて
「吹奏楽の神様」と呼ばれた。


全国には最強の学校、連続出場に金賞、
素晴らしい先生はたくさんいました。


しかし、「神様」の称号を手にしたのは
屋比久勲氏だけだ。


決して生徒を怒ってはいけない


氏の口癖だった。



しかし、地元ではなく
九州を中心に家族は沖縄で生活し、
単身でいつまで続くのかと思っていたら、
ついにこんな日が来てしまいました。

1年365日休まず、
タクトを振り、
趣味も吹奏楽以外はなかったと思う。

それほどの情熱はどこから来るのか。

なぜ、家族と離れてまでそこまで
吹奏楽命で、最後までやり続けたのか。


いつかは聞きたい、そんな謎のような
生活をとうとう最後まで送られた。



そこまでに至る経過を知りたかった。



今は、
ユーチューブなどに残る
数々の記録と沖縄サウンドの原型、
音楽とは、続けるとは、決して
怒らないことなど、屋比久勲さんの
想いを音の響きから改めて時折、
心に染み入りながら聴いてみようと思う。





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