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吹奏楽界の「神様」屋比久勲さんを悼む 17日告別式 [沖縄関連]

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福岡の病院で亡くなったのが13日。

一旦、地元沖縄に帰還し、
それからお通夜という流れだろう。






しかし、
それまでお身体が持たないので、
今日あたり本当に帰らぬ人となるであろう。


それにしても亡くなった後に
ご自宅で過ごすことになった。


沖縄そして福岡、鹿児島そして
全国とお世話になった当時の生徒、
先生方や関係者が全国から、
弔問に訪れていることだろう。




今とは、まったく異次元のような
吹奏楽界の華々しさ、プロも多く
輩出した。


屋比久勲さんは、
琉大でトランペットを吹いていた。


当時の音楽界の重鎮渡久地政一氏の
薫陶を受け、指揮を学んだ。





始めの赴任が那覇の垣花中。
早速九州大会で1位に。


1972年の復帰年、真和志中学で
全国で金賞を勝ち取る。




そのころの勲さんは時の人、吹奏楽では有名でした。

「トッカータとフーガ」の名演は
当時の中学生のレベルの高さ、プロ顔負け、
沖縄サウンドの凄さが光っていました。


石田中学赴任中に7人の生徒を
福工大付属高校へ特待生で送り出すのをきっかけに、
転勤のいく先々で、優秀なセンスあふれる生徒を
送り出した。


福工大付属高校の鈴木先生も米国挑戦を
屋比久勲さんに告げ、そのあたりから
福工大付属への赴任を意識し、生涯の
覚悟を固めたと思われる。




吹奏楽の甲子園球場は「普門館」憧れの普門館。

そこに何度も何度も連続で出場する屋比久さん、
生徒のレベル品格も向上、ちょっとしたサイン責め。
すごい有名人な方でしたね。



1年365日を部室に音楽に生徒に
捧げた。


家族よりも優先させた理由が知りたいぐらいだ。



継続により、
不変の意志の塊でしたね。


人生そのもの、教師としての地位より、
吹奏楽界への貢献に人生を捧げた人だった。


音楽の相談はできても、
仕事や人生の相談はできたのかな。


他のことにはまったく興味がないもかなとも
思ったぐらい、一筋の人でしたね。


奥様に先立たれた際も、
沖縄にいなかった。

寂しさ悲しさ、喜びも全て
タクトに思いを乗せた人。



悔いのない人生

家族も半分あきらめ、あきれるほどの
生涯吹奏楽。


やさしい気持ちと数々の演奏曲を
肌で実感しながら送りたいと思います。




13日に肺炎で亡くなった屋比久勲さんの
告別式は17日午後2時から4時、
浦添市勢理客3の11の2、
フェニックスホール那覇玉泉院で執り行われる。






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