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一度しか報酬をもらわない仕事は損である [経済]

 先日、D・D・トンプソンという大工の棟梁と話しをした。 棟梁一家は
住宅建築の大部分を請負い、高級住宅の建築を家業にしている。

 トンプソン棟梁は私のような物書き連中を評して、こう言った。


気楽なもんだねえ。 大工があの家一軒建てるには、釘を25万本も打たなきゃ
いけないんだよ。 先生方はただ机に向かってるだけでしょうが



 彼のコメントを愉快に思った私は、「となりの芝生は青いっていうじゃないか」
と切り返した。


「私だって、自分の手で150万個も字を書いて原稿を仕上げたんだよ。 それに、
字の選択にはおおいに気を使わなきゃならないからね」


 棟梁は私の反撃を面白がっていたけれども、完全に理解していたかどうかは定かではない。

 


 釘を打つのも、文章を書くのも、どちらも努力が必要なのだが、両者のあいだには大きな
ちがいがある。

 文字を記した紙は、そのあとベストセラーになるかもしれない。 いわば、一つ一つの
文字が、金のなる木になる可能性を秘めているのだ。 一方、棟梁は材木に釘を打って
その報酬をもらったらそれで終わりだ。

 建築工事では報酬をもらうのは一度きりであって、打った釘に対して印税が
支払われることはない。

それに、棟梁は宅地開発業者から注文を受けて家を造っている。 棟梁の取り分はその
住宅の販売利益の約20%で、残りは宅地開発業者の収入なのだ。 これはまるで、
一律料金をもらうだけで印税を払わないゴーストライターのようなものである。 棟梁が
自分で宅地開発もやって家も建てれば、現在より収入は増えるはずで、アパートを建てて
賃貸すれば、もっと大きな収益が得られるだろう。


 そうすれば、打った釘で老後の収入も期待できる。 だが、棟梁には自分のアパートの
建築費に回す資本もないし、将来宅地開発業を始められるくらいの資金を蓄えておこう
という強い意欲も展望もない。

 調査してみると、大学卒業者で釘打ちのような単純作業をする職業に就く人がけっこう
いることがわかった。 たとえば、アメリカの公認会計士のほとんどがそうだ。 

 公認会計士は、毎年膨大な数の納税申告書を作成する、知的で勤勉な税務のプロだ。

 ところが、納税申告書自体に資産価値はない。 申告書は毎年新たに作成しなければ
ならないからだ。

 少数ながら、申告書作成などの単純作業以上の仕事をする公認会計士もいる。 彼らが
開発した税務関係のコンピュータ・ソフトは、いわば金の卵を産むガチョウのように、
著作権使用料などの収入を生みつづける。 こうしたソフトウェアの素晴らしさは、
資産としての価値を持っている点である。 納税申告書を作成しなくても、ソフトの
制作者は定期収入を得られるのだ。


 要するに、同じように努力を要する仕事にも、二通りあるということである。 一度しか
報酬をもらえない仕事もあれば、何度も利益をもたらしつづける仕事もある。

 決めるのはあなたなのだ。 トンプソン棟梁のような人生を歩むなら、一つの仕事につき、
支払いは常に一回きりだ。


 プロ・スポーツ選手の高収入についてどう思うか、意見を聞かれることがよくある。

 スポーツ選手はたしかに大金をもらう価値のある仕事をしていると思うが、私は少しも
羨ましいとは思わない。 多くの選手は、現役での活躍期間がごく短い。 何度ゴールを
決めても、何本ホームランを打っても、何度タッチダウンを上げても、それ自体が利益を
生みつづけるわけではないことを理解している選手もいる。 ヒットを打って、さらに
収入が増えたとしても、それが単純労働であることに変わりはない。

 今日やった仕事で何ドル稼いだかは、あまり重要ではない。 真に重要なのは、
今日努力した結果、将来何ドル懐に入るかということなのだ。

 マスコミは、どこぞの若い野球選手がいくらで契約したというニュースを好んで
伝える。 しかし、その選手は現役を引退したら年金をもらえるだろうか? 保障は
何もない。 プロ・スポーツ業界のなかで最も賢明なのは、チームのオーナーと
エージェントなのである。


 とりわけ漁夫の利を得ているのが、スポーツ・エージェントだ。 自分自身は大した
運動能力も持っていない。 走りもしなければ、キックもブロックもしないし、ゴールも
決めない。 歌も踊りもできない。 それなのに最後まで仕事に不自由することはない。

 もしあなたがフットボール界のスター選手だったらどうだろう? 高校のときは
全米代表選手に選ばれ、大学でも一軍で全米代表になり、今年ランニング・バックとして
ドラフト1位でプロ入りしたが、膝を故障してしまった・・・・ジ・エンド。


 他方、あなたのエージェントはあなたのような成長株の選手を他にも大勢かかえて
いるから困らない。 

 エージェントの仕事はリンゴの木を育てるのに似ている。 いったん、エージェントの
リンゴ園に植えられてしまったら、その気はずっと彼のためにリンゴを実らせることに
なる。 もう実らなくなった朽木は、引っこ抜かれてしまう。


 そのあとには、まるで交換のきく機械部品のように、代わりのリンゴの木が植えられる
だけなのだ。



職業観と将来、夢ややりたいこと。
職業選択を間違えたと思うときが
人生にはあり続ける。

一度の人生、迷うな。
方法はいくらでもある。











タグ:リンゴの木
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